労働
得歓當作楽
斗酒集比隣
盛年不重来
一日難再晨
及時當勉勤
歳月不待人
愉快な事が有れば楽しみにすべきだ
一斗の酒で近隣を集めよ
若い盛りは二度と来ぬ
一日に二度の朝が有るわけはない
時に後れずせい出して遊ぶべきだ
歳月はまってくれぬ
己亥
バクーニンはこう述べている。「諸君が切り取る小部分は、すなわち私の自由の本質そのものであり、私の全自由なのだ。自然必然的な、不可避的な運動によって、それがいかに小さな部分であるとはいえ、諸君が切り取ろうとするまさにその部分に、私の全自由が集中しているのだ。」
それはちょうど、たった一つの小部屋にだけは入ることを禁じられた「青ひげ」の妻が、他の事柄についてはどんなに不自由なく恵まれた生活を送っていても、ただそれだけで自由の全部を失った、と感じたのと等しいのである。だからこそ彼女がこの禁じられた小部屋に入ったのは、「彼女の自由の必然的な行為」であった。
人間が持って生まれた自由には、善への自由のみならず悪への自由も含まれている。悪への自由は、人間社会のうちに種々様々な不都合を生み出すであろう。だからといって悪への自由を根絶し、善への自由だけを残すならば、自由そのものが死滅してしまう。自由の真の意味は、善と悪との間の選択にあるからである。善への自由だけを許容することは、上から押し付けられた自由、自由の官給品にすぎない。
以前ゴダールの映画の冒頭で主人公がバクーニンを引用していたので今日本買った。無神論に関しては凄い共感する所があるがそれと国家批判に繋げるのはなかなかまだ理解が追い付かない。ようわからん。
母還暦を迎える。
15
昨夕、犬を違うルートで散歩。
変な猫屋敷の傍を通ると振り返る度に猫に距離を詰められててテレサかよ、と思った。なんか増えるし。
今日は卒業証明を得る為暗黒の学生時代を過ごしたキャンパスへ。
松竹でアラン・ロブ=グリエ「不滅の女」「ヨーロッパ横断特急」観る。よくわからんかった。
15本目のストゥーパ。
梅梅
木曜日、メゾンキツネシューウエムラの特典目当てで新宿伊勢丹に行ったらイベント限定との事で手に入らなかった。
悔しかったので早稲田まで歩き麺珍亭で油そば食う。
金曜日、憧れのAkufenを観に表参道Vent行く。いつ出てくるんやと思ったら別フロアにいてずっと変な奴の隣で謎の時間を過ごしていた。
満員の終電でマックブック広げてドラマ観てる奴が居たので家で見なよ。。。と注意したらまぁそういう楽しみ方もありますけどね!と返された。私の酔いの勢いもあるし相手が陰キャっぽかったので調子に乗って老害の様な振る舞いをしてしまった。
でもあんな自我を持ちたいな、と思った。
パニの梅サワー、お代わりすると梅が増えてるんで勝手に金玉サワーと呼ぶ。