定義温泉

 震災の後、宮城県某所で植林のボランティアをやったついでに偶然訪れた定義温泉。に関して帰宅後調べた文献を昨晩発掘したので折角なのでまとめる。

 f:id:yahoten:20190323104131p:plain

恐らくつげ義春氏の作品で膾炙されている所謂湯治場。もう長らく閉鎖中らしいが。

goo.gl

 

 「貧困旅行記」では’1969年(昭44)八月交際中の妻と、岩手県の夏油、宮城の定義、栃木の北温泉と湯治場を巡る。’とある。

 「つげ義春と僕」から「颯爽旅行記」にはもっと詳しく:

定義温泉は古くから「逆上引上げの湯」として知られる精神病に特効のある温泉だそうだが、ぼくははじめ「のぼせ」を「ぎゃくじょう」と読み違え、浅野内匠頭にふさわしい温泉のように想像してしまった。

宿は木造でかなり大きい。背後に山がせまり薄暗く陰気。車からおりると、十人ほどの浴客が、廊下のガラス戸に額を押しつけるようにして、こちらをずっとうかがっている。

夜中、客のいないのをみすまして風呂へ行く。渡り廊下のそばの障子が開いて、赤い長襦袢の女がこちらを窺っている。ちょっと気味が悪い。

風呂はかなりぬるい。壁に「大小便を堅く禁ず」の貼紙。

この旅行のあと、二か月ほどして出た雑誌「旅」に、精神科医の斉藤茂太氏が定義温泉の訪問記を書いているのを読んだ。その記事によると、昔は暴れる患者を鎖や縄で縛りつけて入浴させ、二日間絶食させると鎮静した、という話が紹介されてあった。

 

f:id:yahoten:20190323104759p:plain

仙台市西方寺

 

f:id:yahoten:20190323105024p:plain

西方寺五重塔

f:id:yahoten:20190323105225p:plain

平貞能公御廟


 尚訪れた、といっても結局当の施設は見ておらずそれと云うのも恐らく宿場に続くであろう山道は既に立ち入り禁止になっていたからで、しかも四辺に電灯の類は一切なくだんだんと暗くなってきた山中は真夏でも妙に涼しく正直早く帰りたくなっていたからだった。

f:id:yahoten:20190323105414p:plain


 

 つげ氏が読んだと言っている斉藤茂太氏の旅行記では下記の通りある(多分該当文章。。。):*1

昨年のこと、ある雑誌社の依頼で東北の二つの「変わった」温泉に入りに行った。ひとつは山形県今神温泉で、もうひとつは宮城県定義温泉である。

仙台へ水と電気を供給する多目的の大倉ダムからさらに十三キロのところに有名な定義如来がある。(中略)これが精神病にきくという定義温泉である。

「一日十時間以上入ってください」と「湯守」の掲示が出ている。

縁石に数個の穴があいている。今は使われぬが暴れる患者を鎖や縄でしばった名残りである。そうして二日間も絶食させて湯につけておくとすっかり鎮静してよくなるという。「持続浴」である。

気の毒な精神障害者が奇跡を信じて定義に集まってくる。たまには興奮する人もあろうが、大部分はおだやかで静かな人びとばかりである。「信ずる」ということはまことに「美しい」。

 

f:id:yahoten:20190323105528p:plain

大倉ダム。高い恐い

 また、「日本医史学雑誌第二十三巻第三号、昭和五十二年七月」昼田源四郎氏著の「気違いの湯ー定義温泉の歴史聞書」にも湯に関する歴史が触れられている:

「宮城町誌」*2を紐解くと、定義温泉に触れた、次のような記事がみられる。「当温泉の開場は伝える所によれば、慶長年間以前のことであると言われているが、未だ記録に徴すべきものが見当たらない。

 少なくとも寛政年間に開発に従事した人物が居て、その後眼病に苦しむ羽州東根村の農夫が八聖山で祈願した所「汝の病ただ宜しく奥州白髭山の御沢の定義温泉に沐浴すべし」との神託を受け従った所平癒したためその後効験が広まった。。。らしい。

 更にこの聞書では当時の温泉当主・石垣幸一氏(77歳)の言もあり搔い摘むと

明治の末頃から定義温泉は’頭に効く’といわれて患者が集まり始めた。それまでは、ほとんど知る人もない湯だった。それが口伝えに伝わったものだろう。大東亜戦争までは年間五、六千人もの人々で活況を呈した。

戦後、精神病院等の出現で三、四千人に激減。また以前は一人の患者に二、三十人の付添(家族、近所の人々当)がついて来たものだが、近頃ではそういうことはなくなった。人情が薄れて来たのだと思う。

「一週間位で悪い所が現れる。それでいわば病気が発散する訳だ。しかし、同じ悩みをもつ者が裸で話し合ったりってのがやっぱりいいんでしょうな。だから私は何でもない人は、入れない。観光客は相手にしません。金になるのは分かってますよ。だけどそういうもんじゃないでしょ。やっぱり病気をもった人は、健康な人に対してどうしても引け目を感じてしまうんです…」

 

 石垣氏は「患者の秘密だから」と具体的な事例は避けつつも何件か過去の温泉での出来事を語っている。若い人が多く、逃げ出して途中で死亡してしまう事もあったそうだ。

 尚この野外調査は昭和五十一年十月・十一月に行われているらしいのでつげ氏が逢ったと云う「お相撲さんのように大きなおかみさん」も居た可能性が高い。

 f:id:yahoten:20190323125454p:plain

 

 更に古い文献では日本精神医学会の祖であり夏目漱石の門下生である中村古峡の著作「仙南北温泉遊記ー山中の癲狂院」(1916年、大正5年)から:

 浴槽の上には大きな巌の頭が物凄く突出て、其処にも湯神の祠を安置し、線香の煙が絶えず四辺を籠めているので、如何にも行者の巌窟めいた感じを与える。

一体 此の湯は往昔出羽の国東根村の住人、桶屋何某なるものの娘とかが、霊夢の神託によって其の永年の眼病を癒したがために、夙くから眼の湯として世間に知られていたのだそうだが、何時の頃からか脳病特に精神病に効験あることが評判になって、定義の気狂湯などと呼ばれるようになり、今では主として頭脳に疾病ある人が集まって来るようになったと云う。

湯を出て川縁を散歩していると、朱欄の橋の彼方から、青い顔をした十四五の小女が、父らしい人に手を引かれて辿るようにして此方へ歩いて来る。悩みに窶れたオフェリアの姿とも見える。絲のように細った其の手には、線香が五六本、覚束ない煙を上げている。やがて橋の半まで来ると、女は線香の一本を湯神の神棚の前に備えて、暫く稽首合掌する。まだ黒髪の艶あるべき処女(おとめ)の身にて、此の憔悴したは何したと云うのだろう。じっと其の痛ましい姿に見入っていると、僕は急に胸が塞がって来て、覚えず眼瞼が熱くなった。

 その他湯客のエピソードが綴られているが章始めに「此の陰気臭い定義温泉ほど、僕の創作的気分を誘ったところは外になかった」とあるのでどの程度現実と寄り添っているのかは不確かである。章末に泉主石垣麓遊、由来には

次で天保十四年五月仙台の人庄司平吉、此村の住人關新右衛門及び石垣加茂之助、合同して再興に従事せしが、後庄司關の二人は半途にして手を引き、石垣加茂之助一人にて苦心惨憺の後、終に嘉永二年三月開湯の功を奏す。今の泉主石垣長左衛門氏は其の息なり。

とあるがどちらが正しいのだろうか。注釈の「旅館及宿料」では

旅館は石垣長左衛門只一軒。宿泊は旅籠自炊の二様ありて、旅籠客一人一泊(中食共)五捨銭以上壱円位まで。自炊客一人一日捨五銭以上参捨銭位まで。

となっている。当時白米1升15銭ぐらいで公衆浴場5銭ぐらいだったら少し割高なのだろうか。治療施設と考えると妥当なのかは不明。

明治〜平成 値段史

 

 もう1点コピーした文献は粗くて読み辛い上出典がない。一応「第四章民間療法の実況、第二節神社佛閣に於ける処置・水治方及び温泉場の療法、定義温泉」(大正六年下田光造観察報告)と書いてある。

嘗て中村(古峡)文学士は仙南北温泉遊記に於いて「定義の癲狂村(ママ)」と△して此地を紹介せり。

定義温泉精神病者の民間水治療方場として理想に近きものなり。

 

 もう少し詳しく調べたいけど手元にある資料は以上。花袋「温泉めぐり」牧水「みなかみ紀行」でも近しい場所へは行っていないので参考にはならず。もう一度訪れてみたいと思うが余り好ましくないと思うので思い出に留めておく。Youtubeに映像があるけどええのだろか。。。

 頼み来し

その酒なしと

この宿の主人言ふなる

 

破れたる紙幣とりいで

お頼み申す隣村まで

一走り行て買ひ来てよ

 

その酒の来る待ちがてに

いまいちど入るよ温泉(いでゆ)に

壁もなき吹きさらしの湯に

若山牧水 枯野の旅)

 

f:id:yahoten:20190323142742p:plain

 

*1:「‘’ドクトル・メジチーネ‘’の時代」

*2:宮城群宮城町役場発行、昭和四十四年